今となっては時効になった話。

私はプロ野球は広島カープのファンです。高校生までは巨人、長嶋のファンでしたが、仲が良かった小学校の友人が高校卒業後、広島カープに入団したので、その時からカープファンに転向しました。

万年お荷物球団と呼ばれていましたが、1975(昭和50)年にリーグ初優勝し、脚光を浴びるようになりました。そのよう中、1980(昭和55年)の旧広島市民球場での開幕試合、阪神戦を見に行きました。前年にカープがセリーグ優勝をこの球場で決めた時も観戦に行っていました。当時、土曜日は半日仕事がありましたが、勤務していた岡山大学病院を昼前に抜け出し、新幹線で移動。席は知り合いの方からいただいた、外野指定席です。ミスター赤ヘル、センター山本浩二選手のすぐ後ろ、トランペット軍団のすぐ隣です。グラウンドに向かい、左後ろにスコアボード、右隣はトランペットです。この日、カープの先発は池谷公二郎選手。点の取り合い、乱打戦で、8回を終わって6対6。カープの6点は全てソロホームラン、ピッチャーの池谷選手もホームランを打ちました。タイガースの掛布雅之選手もホームラン。外野で見るホームランはすごい迫力です。さて、9回表。阪神はツーアウトでランナー1塁、2塁。次のバッターが打つと同時に2塁ランナーは猛然とダッシュ。打球はヒット性の当たりでレフト前へ。レフトはこの年に助っ人として来日したマイク・デュプリー選手。打球を捕球するやバックホーム。アウト!大歓声の中、9回裏、先頭打者がデュプリー選手です。そしてなんと打った打球がスタンドへ。サヨナラホームランです。球場は割れんばかりの大歓声。しかしこの素晴らしい展開に、悲運が待っていたとは、この時私は知りませんでした。

勝利の余韻に浸りながら岡山大学へ戻り、医局のドアを開けたとたん。

「広島へ行ってただろう!」

「いや、図書館で調べ物を」

「嘘を言うな。テレビに写ってた!」

そうです。サヨナラの瞬間、左後ろのスコアボードのカメラがトランペットを写したのです。そしてその手前には・・・

後年、香川に異動しても上司からは笑いながら「佐藤は広島で旗を振ってた」とずっと言われました。隠れて悪い事はできないものですが、今や時効でしょうか。

ある時期、山本浩二監督の最後の頃から三村敏之監督の間、カープの福山か高松でのオープン戦の前日、監督やコーチ、裏方の方々との食事会に参加する機会がありました。ある年、池谷公二郎コーチも参加され、あの時の開幕試合のことを話しところ、試合の流れを熱く語っていただけました。

2304#52スプリット、ホテルラックス1108

宿泊ホテル

ホテルラックス

スプリット、クロアチア

過去の記事一覧