今は多くの人が携帯、スマホを持ち、いつでもどこでも外部からの多くに情報に接することができます。また疑問に思ったこともすぐに検索できるようになりました。

私は大相撲が人並くらいと思いますが、好きです。お相撲さんの場所ごとの成績や優勝、連勝を気にしていました。その中で中学生、高校生以降、優勝回数や連勝記録などの報道がされる時、双葉山と比較することを良く聞きました。双葉山と言えば69連勝が有名です。ところでこの双葉山、いつの頃のお相撲さんか気にはなっても正確には知りませんでした。古い時代の人で、谷風などの江戸時代よりは新しい時代で、明治以降だろう、くらいのイメージでした。

今から20年以上前だったか、北九州へ行くことがあり、夜までに着けばいいからと、何を思ったか、小倉からJR日豊線を南下し、大分県の宇佐神宮を参拝に行きました。有名な神社で、ちょっと見てみたいと思ったのでしょう。参拝後まだ時間があったのでタクシーに乗り、街の周辺を回ってもらいました。その時に双葉山博物館の看板が目に入り、寄ってみました。

驚いたのは双葉山が活躍したのは太平洋戦争前の頃で終戦の年、現役を引退したとのことで、思っていたのとは大きく違い、近い年代のお相撲さんだったことでした。さらにそれよりも驚いたのは物心が着いて以降、大相撲報道で良く耳にしていた時津風理事長が、この双葉山のその後の姿だったことでした。今なら、〇〇理事長、元横綱誰それ、などのように現在の地位や役職を言った後、現役時代の四股名を言うのが当たり前ですが、記憶にある大相撲報道では、時津風理事長では言わなかったように思います。あの双葉山博物館では、長い間なんとなく抱いていた疑問が解け、しかも時津風理事長は知っていたことに驚き、不思議な感じがしました。

どうしてそのようなことになっていたのか。時津風理事長が亡くなった時が、私が大学への浪人中であったことと思います。新聞やテレビのニュースを見ていなかったのでしょう。

後年、大学生の終わりの頃、佐藤栄作元首相のノーベル平和賞受賞の報道がありました。その時、私は報道で知っていたので午前中の講義の間に周囲の同級生に、日本人がノーベル平和賞を受賞したが、誰でしょう、と尋ねるとみんな知りませんでした。

現在はスマホを中心に多くの情報に接しますが、当時はパソコンはなく、自室にテレビを持っている同級生はほとんどなく、新聞はとっていないのが普通で、今とは隔世の感を感じます。

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首都に次ぐ第2の都市、港町のベルゲン、

ノルウェー

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