前回、カメラ雑誌のお話をしましたが、今回は見せ方の一つ、写真展について触れてみます。写真展の有名な会場の一つ、私も何度も行った銀座ニコンサロンが閉鎖したことに触れました。心に残る写真展とは、その空間に身を置くことで、展示される写真の大きさや展示方法を通して、写真家の感じた対象や、それから広がるもっと広い世界をイメージできることでしょう。

最近見た写真展は昨年、篠山紀信の回顧展ともいうべきものでした。広い会場に1960年代後半からの、週刊誌や月刊雑誌などに連載以来、話題になった代表的な作品が展示されていました。雑誌の表紙やグラビアの、今やベテランになったり、故人となったりの芸能人や政治家を撮ったものなど、当時の雰囲気を思い出します。

私が特に印象に残った作品は2点。一つは、その写真展のタイトルにもなった「晴れた日」として発表されたものの一点です。晴れた日に赤い屋根と白い壁の家が、写真の中央に大きく写っている、しかし窓や大きい扉は壊れ、あるいは無くなり、人の気配はない、周囲には深い緑の木々がある。これは北海道のある場所での開発が終って、荒れたところを撮影したものです。きれいな色の家なのに、もう誰もいない、その対比が印象的でした。もう一つは、堀江謙一が太平洋を渡って日本へ帰ってきた場面です。縦長の写真の中央下部に白いヨットがぽつんとあり、他の全体は白波の立つ海原。冒険家、堀江謙一のヨットとの解説があり、彼の冒険の大変さが1枚の写真に現れると感じました。ただのヨットであれば偉大な冒険へのイメージは広がりません。画像と言葉の関係についてはイメージを縛る、定型の概念に結び付けるなどの議論もありますが、ここでは反対にイメージが広がるように感じました。

ただ、この写真展は回顧展的なパターンであり、何度か見た篠山紀信の活動的であった頃の写真展で感じた、ほとばしるような情熱や熱意が、当然感じられませんでした。写真を撮る者が誰であれ、気持ちが前へ向いているときの作品は、見る者の気持ちを高ぶらせるものであるように思います。

デジタル画像化、コロナ禍の時代、写真展、あるいは写真を見せる手段はどのように進んでいくのでしょうか。プロであれ、アマチュアであれ、心を打つ写真群に出会うことを楽しみにしています。(文中敬称略)

首都マドリードの南方、

エル・グレコの絵で有名なトレド

スペイン

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