7027。この数字は本欄で何回か取り上げましたが、パキスタン・カラコルム山群の私どもが登頂したスパンティック峰の高さです。すなわち7027m。その遠征から、今年は45周年となり、記念会が開催されました。1978(昭和53)年、星と嵐の会・カラコルム遠征隊、7名の隊員で登頂してから、時は経つものと実感しました。

パキスタンは私にとって初めての外国でした。当初、古い街であるラワルピンディに、種々の手続きや物品の購入のため滞在しました。ラワルピンディは雑然とした、活気あふれる街で、テレビで見る欧米とは異なり、イスラム圏の風景に圧倒されました。その後は奥地へ飛行機で飛び、100人ほどのポーターを雇い、1週間ほどのキャラバンの後、ベースキャンプを設営。次第に荷揚げをし、最終的に2名が登頂しました。6月の始めに日本を出発し、登頂が8月8日。そしてベースキャンプを閉じ、帰りのキャラバン、首都への飛行待ち、出国手続きなどがあり、8月下旬に出国となりました。7名はパキスタンで分かれ、各々別のルートで帰国しました。

帰国してからは子供が順調に誕生し、職場は岡山から香川へ異動、札幌やアメリカなどと移り、今は香川での生活が長くなっています。仕事は診療、研究、教育を中心に携わってきましたが、いつも心の奥にはパキスタンの遠征のことが存在しています。大きい氷河やその上のクレバス、雪と氷に覆われる岩山、夜は明かりが全くなく空気が澄むことから満天の星空、等々。登山活動では大変なこともありました。また隊員1人がクレバスに転落しましたが、軽い打撲で済んだことは大きな喜びです。この一連の活動が私の精神的なバックボーンとなったように思います。

大学の山岳部の先輩たちも何回か海外遠征をしています。お世話になった先輩が、やはりパキスタンで登頂成功の下山中、クレバスに落ちて亡くなっています。その時に同行していた先輩も、パキスタンやネパールへの遠征について、精神的な支えだと言っていました。

以前の記念会の折、私の車のプレートの番号を、7027にしたことを言うと、それは良い、ということで他の一人が同様に7027としたと聞きました。今回、車で参加のもう一人も、やはり7027にしていました。みんなそれぞれ心の中に、7027は心の拠り所となっているようです。0c04d2777217edb7342eca7a0ce9a153

飛行機が飛ぶ最奥の街、スカルド

パキスタン

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